おはようございます。杉崎です。

とうとう桜が咲きましたね。満開まであと少しといったところでしょうか。

この整体院で見る桜も6回目を迎えました。人生では46回目の桜を咲くのを目にしておりますが、”飽きる”という言葉が出てきません。

10日前後の花の寿命というのも、魅力となっているのでしょう。咲いてよし、散ってよし、風流ですね。

桜が咲くのを見ますと、皆さんは何を思い出したり、想像しますか?

入学式ですか?卒業式ですか?出会いの場面ですか?別れの場面ですか? 皆それぞれ違いますよね。

また年齢によっても、同じ入学式、卒業式でも違ってきますよね。自分のものであったり、子供のものであったり。

私はですね、ここ数年は ”父親” ことを思い出すのです...

私は30歳まで父のことが”大嫌い”でした。

何をお願いしても”ダメ”の一点張り。目をみて話してくれたことなんてありません。職業は教職で、仕事か趣味の水彩画のことばかりで、口を開けば”勉強しろ”愛情を感じられなかったのでしょうか。本当に”嫌い”でした。

私は30歳で上京してきたのですが、それからですね、たまに実家に帰ると、一緒に酒を飲むようになり、いろいろ話すようになりました。(それまでまともに会話なんてしたことなかったんですよ...)

まあ近くにいるとあまり話さないんだけど、遠く離れると仲良くなるケースですよね。(よくありがちです。)

そんなこんなで、40歳で開業致しました。その資金もダメもとで父親に相談しましたら、融資してくれたのです。

そして初めての桜の咲く季節を迎えました。両親が店に行きたいと言いましたが、桜通りなだけに、いっぱいのご来院が予想されるだけに、断ってしまいました。

しかしながら、桜通りに咲く満開の桜をいつかは、父に水彩画で書いてもらい、店に飾りたいと思い、翌年には”必ず描いてもらおう”と思っていました。

年が明けました。私は里帰りし、三元日は実家で過ごしました。本家でしたので、親類がたくさん集まり、その年は宴を開きました。その時に、異母の弟が、絵を習い始めたらしく、皆の前に絵をおいて、父がいろいろ解説していたのを覚えています。(兄の美大の娘の絵を真面目に批評していましたら、泣き出してしまい大変でした。)

その直後でしたね、父の体調に異変が起きたのは。そして3月に胃癌の転移がわかり、余命3ヶ月の命と言い渡されました。

桜通りでは、桜が満開になり、最後に両親に”来れるかって”相談しましたら、”もう痛くて行けない”と断られました。

では写真に撮って”描いてもらおう”と写真を撮りましたが、それも叶わず、”ここ”の桜の水彩画を描いてもらえることは、ありませんでした。

ですからねえ、桜を見ると思い出すんですよね。どんな水彩画を描いたかなって。

2017年に見る桜も、子供が成長するということよりも、そのことを思います。

私もあと40年近くは生きるでしょうから、桜を見ると”桜の思い出”も変わりますかね。

”ここ”の桜の満開までもう少しです。